岡倉天心(覚三)『茶の本』(岩波文庫)を読む。

てらいがなくて、ダイナミックな文章で、おもしろい。


注釈をちまちまちまちまつけたような論文もいいけど、論文というのは、本来、「使えるもの」というのが第一だとおもう。
専門家集団の中で点数を稼ぐというのは、第二義的な意味しかなくって、本当は誰にでも使えるものがいちばんいい。
哲学はポータブルでなければならないという言葉にもあるとおり、思想というのも、「使える」ということが一番大事だ。
こう考えると、論文というのは、一個の料理のレシピであって、思想というのは味を表現する言葉だ。


料理を作ることも食うこともなく、他人の作ったレシピにいちゃもんをつけることが、ありがたいような時代はもう終わっている。

茶の本には、茶道は道教の体現だと書いてある。

虚とか、空とかの空きスペースこそが本質であって、構造物は空間を包んでいるにすぎない。